醤油サミットの計画(案)
1 名 称
第2回 全国醤油サミット in たまりの里 武豊
2 主 催
全国醤油産地市町村協議会
3 趣 旨
日本の食文化の原点である醤油に着目し、各地域で大切に育てあげてきた「醤油」を全国・世界へ情報発信し、日本型食生活に不可欠な調味料である醤油への理解及び消費の増進に資するとともに、今後の醤油文化の更なる増進及び「醤油を活かしたまちおこし」を図ることを目的として、関係市町村及び醸造業者が一堂に会し、意見交換や交流を深める。
4 開催日時
平成20年11月8日(土)〜9日(日)
5 開催場所
愛知県武豊町民会館 (ゆめたろうプラザ)
住所 愛知県知多郡武豊町字大門田11
電話 0569-74-1211
※アクセスについては武豊町民会館ホームページでご確認ください
http://www.town.taketoyo.lg.jp/kaikan/index.html
6 ●催事内容(詳細については、資料2のとおり)
11月8日(土)
第1部(響きホール)
@開会宣言 13:00〜
A協議会総会及び共同宣言等 13:15〜
Bパネルディスカッション 13:35〜 司会による市町村紹介及び紹介ビデオ等
C記念撮影 14:15〜 来賓及び参加者全員
第2部(輝きホール)
@オープニング 14:30〜 地元小学校マーチングバンド
A歓迎あいさつ 14:45〜 武豊町長
B来賓祝辞 14:55〜 国会議員及び国、県等
C基調講演 15:35〜 東京農業大学教授 小泉 武夫氏
Dサミット記念公演 16:40〜 地元小学校和太鼓クラブ
E醤油作文コンクール等表彰式 16:50〜
F次期開催市町村長あいさつ 17:15〜
G名産品プレゼント抽選会 17:25〜
H閉会 17:50
第3部(響きホール)
レセプション 18:00〜 知多半島の素材を使用した料理等
11月9日(日)
@産業まつり会場視察 9:40〜
A武豊たまり蔵見学 10:40〜
B夢乃蔵 12:00〜 昼食
C酢の里見学 14:00〜
D解 散 15:30
※一般の参加者は8日の第2部にご参加いただけます。
※入場には整理券が必要です。(事前分は配布済)
※当日分(50名程度)は先着順にてご入場いただけます。
輝きホール入場口におならびください。
●屋外特設ステージイベント
11月8日(土)
・たまりラーメンコンテスト
11月9日(日)
・よさこい武豊座竜宮
・利きたまり大会
●ゆめたろうプラザロビー
・エントランスモニター(応援メッセージ・武豊町PRビデオ)
・醤油サンプル展示
・醤油品評会受賞商品展示
・武豊たまりの歴史紹介パネル
・小中学生しらべ学習資料展示
・愛知県観光協会ブース
7 全国醤油産地市町村協議会加入希望団体(H20.8.20現在)
自 治 体:武豊町始め27団体
メーカー等:知多味噌溜醤油工業協同組合始め11団体
8 後 援
農林水産省、国土交通省、愛知県
日本醤油協会、全国醤油工業協同組合連合会
愛知県味噌溜醤油工業協同組合、
知多味噌溜醤油工業協同組合
問合せ先
愛知県 武豊町役場 総務部 企画政策課
住所:〒470-2392 愛知県知多郡武豊町字長尾山2番地
TEL:0569-72-1111 内線514 FAX:0569-72-1115
E-mail:kikaku@town.taketoyo.lg.jp
2008年08月22日
武豊町長あいさつ
武豊町長の籾山芳輝でございます。
昨年10月に和歌山県湯浅町で第1回目が開催された全国醤油サミットが、この度、第2回目をここ武豊町で11月8日(土)に開催させていただく運びとなりましたことは、ひとえに関係各位のご協力の賜物であり、誠に感謝いたしております。
さて、「全国醤油サミット in たまりの里 武豊」ということで、武豊町の地場産業として盛んな、特産のたまり醤油「たまり」についてご紹介させていただきます。
武豊町があるこの知多半島は、お隣の半田市の酢、酒、常滑市の酒、東海市のソースやケチャップなど、「醸造半島」と呼んでいいほど、醸造業が盛んであります。
味噌・たまり業は、江戸開幕ころの慶長年間に、知多半島の対岸、三河の宝飯郡から、宗平宗休という人物が中部国際空港、セントレアのある常滑市の大野町に移り住み味噌・たまりの醸造を生業としたことに、始まったと伝えられています。
この宗平宗休は生まれた国の名を取って、屋号を「三河屋」と称しました。三河は岡崎の八丁味噌で知られる豆味噌の産地です。この味噌は、戦国時代に戦う兵の携帯食となり、また風味を損なわずに数年にわたって貯蔵できる特徴があります。
信長、秀吉が活躍した天正年間の頃、城中で軍用のため、この赤味噌を貯蔵しておいたところ、日がたつにつれて、「豆味噌に溜まった汁、たまり」ができました。それは、塩分を含み、黒く、とろりとした汁でした。ためしにこの「たまり」に野菜をつけてみると「その味は淡白で、うまかった」と喜ばれ、それ以降、味噌の副産物であった「たまり」を味わうようになったと伝えられています。その味は、その後、尾張、三河を中心として一般に広まり、「たまり」は庶民の味となったわけであります。
なお、第1回の醤油サミットが行われた紀州、和歌山県の湯浅周辺で盛んにつくられていた金山寺味噌に溜まった汁の「たまり」が「たまり醤油」の原形だともいわれていますがどうも「たまり」の起源は定かではないようであります。
知多の味噌・たまり業の元祖、宗平宗休は、知多の地に移り住んでから、この先、味噌とともに需要がのびると予測したのが「たまり」です。豆味噌仕込みに改良を加え、原料の大豆の加工、麹、仕込みを工夫することによって「たまり」を大量生産することが可能となりました。
そして、自らの事業の繁栄もさることながら、新たに開業する人たちの指導にもご尽力いただいたことにより、知多半島全域に味噌・たまり醸造業が広まりました。
「たまり」の製造に欠かせないのは、塩と大豆です。江戸時代、千石船で代表される海運が発達していた知多半島では、地元産ではまかなえなかった原料を日本の各地から船便で買い付けていました。
忠臣蔵で知られる三河の吉良塩や赤穂塩など、湊(港)の近くにあった蔵元の塩蔵に運び込まれていたのです。
武豊の「たまり」はこの地域の温暖で適当な湿度や、カルシウム塩をふくむ硬水が湧き出るなど醸造に適した風土と相まって、さらには明治になり、JR東海道線と結ぶJR武豊線が開通したことで鉄道輸送により東海地方はもとより全国各地に送られるようになりました。
そして、東海地方で最も早く開港した、地元の武豊港から大量に、良質で安価な原料であった中国大陸産の満州大豆や台湾産の塩などが容易に輸入できたことは、最盛期には50軒ほどの味噌・たまりの醸造に関連する業者があった武豊町の特性であったといえます。多くの味噌・たまり業を生んだ知多半島は、関東の銚子、関西の龍野と並ぶ三銘醸郷といわれるほどになりました。
現在、武豊町では8軒の蔵元が操業を続けています。中でも伝統的な6尺の木桶による天然仕込みをかたくなに守りつづけ、品質の高さでは日本のトップレベルと評されている蔵元もあります。
また、全国でも数人しかいないといわれる6尺桶を修理、再生できる桶職人がこの武豊町におみえになり、昔ながらの醸造方法を守る武豊の「たまり」を支える貴重な職人であります。
戦後、食生活の洋食化とともに味噌・たまりの需要は次第に減っていきました。産地である武豊町でも食卓には「たまり」ではなく「醤油」が置かれている家庭が多くなっているように思われます。「たまり」は、三河の特産品のみりんと相性がよく、蒲焼、煮魚、照り焼き、佃煮、などの魚の生臭みを消しうまみを引き出す料理に欠かせない調味料であります。さしみには「たまり」、あられやせんべい、つけものなどでも「たまり」は、名脇役として人知れずいい味をだしています。
また、昨今の健康志向により和食文化が見直されるようになり、欧米諸国では日本食ブームで、世界レベルで見直されています。
このサミットは、醸造や日本の食文化の権威でいらっしゃる、東京農業大学 応用生物学部教授で農学博士の小泉武夫さんの講演会や、武豊町商工会の主催する「武豊たまりらーめんアイデアコンテスト」には、「ラーメンの鬼」で有名な佐野実さんを審査員にお招きして開催を致します。
ぜひ、この機会に武豊の深みのある「たまり」の魅力をご堪能いただき、ここ武豊から全国、世界に「醤油」「たまり」の魅力が広がっていきますことを祈念いたします。
それでは、秋の深まる11月8日(土)にサミット会場の武豊町民会館で皆様方にお会いできることを今から楽しみにしております。
ありがとうございました。
昨年10月に和歌山県湯浅町で第1回目が開催された全国醤油サミットが、この度、第2回目をここ武豊町で11月8日(土)に開催させていただく運びとなりましたことは、ひとえに関係各位のご協力の賜物であり、誠に感謝いたしております。
さて、「全国醤油サミット in たまりの里 武豊」ということで、武豊町の地場産業として盛んな、特産のたまり醤油「たまり」についてご紹介させていただきます。
武豊町があるこの知多半島は、お隣の半田市の酢、酒、常滑市の酒、東海市のソースやケチャップなど、「醸造半島」と呼んでいいほど、醸造業が盛んであります。
味噌・たまり業は、江戸開幕ころの慶長年間に、知多半島の対岸、三河の宝飯郡から、宗平宗休という人物が中部国際空港、セントレアのある常滑市の大野町に移り住み味噌・たまりの醸造を生業としたことに、始まったと伝えられています。
この宗平宗休は生まれた国の名を取って、屋号を「三河屋」と称しました。三河は岡崎の八丁味噌で知られる豆味噌の産地です。この味噌は、戦国時代に戦う兵の携帯食となり、また風味を損なわずに数年にわたって貯蔵できる特徴があります。
信長、秀吉が活躍した天正年間の頃、城中で軍用のため、この赤味噌を貯蔵しておいたところ、日がたつにつれて、「豆味噌に溜まった汁、たまり」ができました。それは、塩分を含み、黒く、とろりとした汁でした。ためしにこの「たまり」に野菜をつけてみると「その味は淡白で、うまかった」と喜ばれ、それ以降、味噌の副産物であった「たまり」を味わうようになったと伝えられています。その味は、その後、尾張、三河を中心として一般に広まり、「たまり」は庶民の味となったわけであります。
なお、第1回の醤油サミットが行われた紀州、和歌山県の湯浅周辺で盛んにつくられていた金山寺味噌に溜まった汁の「たまり」が「たまり醤油」の原形だともいわれていますがどうも「たまり」の起源は定かではないようであります。
知多の味噌・たまり業の元祖、宗平宗休は、知多の地に移り住んでから、この先、味噌とともに需要がのびると予測したのが「たまり」です。豆味噌仕込みに改良を加え、原料の大豆の加工、麹、仕込みを工夫することによって「たまり」を大量生産することが可能となりました。
そして、自らの事業の繁栄もさることながら、新たに開業する人たちの指導にもご尽力いただいたことにより、知多半島全域に味噌・たまり醸造業が広まりました。
「たまり」の製造に欠かせないのは、塩と大豆です。江戸時代、千石船で代表される海運が発達していた知多半島では、地元産ではまかなえなかった原料を日本の各地から船便で買い付けていました。
忠臣蔵で知られる三河の吉良塩や赤穂塩など、湊(港)の近くにあった蔵元の塩蔵に運び込まれていたのです。
武豊の「たまり」はこの地域の温暖で適当な湿度や、カルシウム塩をふくむ硬水が湧き出るなど醸造に適した風土と相まって、さらには明治になり、JR東海道線と結ぶJR武豊線が開通したことで鉄道輸送により東海地方はもとより全国各地に送られるようになりました。
そして、東海地方で最も早く開港した、地元の武豊港から大量に、良質で安価な原料であった中国大陸産の満州大豆や台湾産の塩などが容易に輸入できたことは、最盛期には50軒ほどの味噌・たまりの醸造に関連する業者があった武豊町の特性であったといえます。多くの味噌・たまり業を生んだ知多半島は、関東の銚子、関西の龍野と並ぶ三銘醸郷といわれるほどになりました。
現在、武豊町では8軒の蔵元が操業を続けています。中でも伝統的な6尺の木桶による天然仕込みをかたくなに守りつづけ、品質の高さでは日本のトップレベルと評されている蔵元もあります。
また、全国でも数人しかいないといわれる6尺桶を修理、再生できる桶職人がこの武豊町におみえになり、昔ながらの醸造方法を守る武豊の「たまり」を支える貴重な職人であります。
戦後、食生活の洋食化とともに味噌・たまりの需要は次第に減っていきました。産地である武豊町でも食卓には「たまり」ではなく「醤油」が置かれている家庭が多くなっているように思われます。「たまり」は、三河の特産品のみりんと相性がよく、蒲焼、煮魚、照り焼き、佃煮、などの魚の生臭みを消しうまみを引き出す料理に欠かせない調味料であります。さしみには「たまり」、あられやせんべい、つけものなどでも「たまり」は、名脇役として人知れずいい味をだしています。
また、昨今の健康志向により和食文化が見直されるようになり、欧米諸国では日本食ブームで、世界レベルで見直されています。
このサミットは、醸造や日本の食文化の権威でいらっしゃる、東京農業大学 応用生物学部教授で農学博士の小泉武夫さんの講演会や、武豊町商工会の主催する「武豊たまりらーめんアイデアコンテスト」には、「ラーメンの鬼」で有名な佐野実さんを審査員にお招きして開催を致します。
ぜひ、この機会に武豊の深みのある「たまり」の魅力をご堪能いただき、ここ武豊から全国、世界に「醤油」「たまり」の魅力が広がっていきますことを祈念いたします。
それでは、秋の深まる11月8日(土)にサミット会場の武豊町民会館で皆様方にお会いできることを今から楽しみにしております。
ありがとうございました。
2008年03月19日
第2回全国醤油サミットが開催されます。
2007年10月27日
規約
(名称)
第1条 この会は、醤油産地市町村協議会(以下、「協議会」という。)と称する。
(目的)
第2条 この会は、加盟自治体等が、日本の食文化を支えてきた醤油の歴史や文化をPRし、まちづくりに活かしていくことを目的とする。
(組織)
第3条 この会は、前条の目的に賛同する自治体等をもって組織する。
(役員)
第4条 この会に次の役員を置く。
会長 1名
副会長 若干名
理事 若干名
監事 2名
2 役員は会員の互選により選出する。
3 役員の任期は1年とする。ただし、再任を妨げない。
4 役員は,その任期が満了したときにおいても後任者が就任するまでの間は前任者の責任期間とする。
5 本協議会に参与を置くことができる。
(役員の職務)
第5条 会長は協議会を代表し、その会務を総理する。
2 副会長は、会長を補佐し、会長に事故あるときはその職務を代理し、会長が欠けたときはその職務を行う。
3 理事は、本協議会の計画ならびに運営に関することを審議し実行する。
4 監事は、会計その他の事務を監査する。
5 参与は、役員会、総会に出席し意見を述べることができる。
(会議)
第6条 会議は、総会ならびに理事会、役員会とする。
2 会議は会長が招集し、会長が議事にあたる。
3 計画、予算決算および規約の改正は総会の議決案件とする。
(経費)
第7条 協議会の運営に関する経費は、加盟団体の負担とする。この場合、負担金の額および負担方法は役員会において策定し、総会の承認を得るものとする。
(事務局)
第8条 事務局は会長が指名する。
(その他)
第9条 この規約に定めるもののほか、必要な事項は会長が定める。
附則
平成19年10月27日から適用する。
第1条 この会は、醤油産地市町村協議会(以下、「協議会」という。)と称する。
(目的)
第2条 この会は、加盟自治体等が、日本の食文化を支えてきた醤油の歴史や文化をPRし、まちづくりに活かしていくことを目的とする。
(組織)
第3条 この会は、前条の目的に賛同する自治体等をもって組織する。
(役員)
第4条 この会に次の役員を置く。
会長 1名
副会長 若干名
理事 若干名
監事 2名
2 役員は会員の互選により選出する。
3 役員の任期は1年とする。ただし、再任を妨げない。
4 役員は,その任期が満了したときにおいても後任者が就任するまでの間は前任者の責任期間とする。
5 本協議会に参与を置くことができる。
(役員の職務)
第5条 会長は協議会を代表し、その会務を総理する。
2 副会長は、会長を補佐し、会長に事故あるときはその職務を代理し、会長が欠けたときはその職務を行う。
3 理事は、本協議会の計画ならびに運営に関することを審議し実行する。
4 監事は、会計その他の事務を監査する。
5 参与は、役員会、総会に出席し意見を述べることができる。
(会議)
第6条 会議は、総会ならびに理事会、役員会とする。
2 会議は会長が招集し、会長が議事にあたる。
3 計画、予算決算および規約の改正は総会の議決案件とする。
(経費)
第7条 協議会の運営に関する経費は、加盟団体の負担とする。この場合、負担金の額および負担方法は役員会において策定し、総会の承認を得るものとする。
(事務局)
第8条 事務局は会長が指名する。
(その他)
第9条 この規約に定めるもののほか、必要な事項は会長が定める。
附則
平成19年10月27日から適用する。
会員団体
<正会員>
北海道
本別町
新潟県
新潟市
群馬県
館林市
千葉県
野田市(発起市町村)
銚子市(発起市町村)
東庄町
茨城県
小美玉市
静岡県
大井川町
愛知県
碧南市
半田市
武豊町(発起市町村)
和歌山県
高野町
湯浅町(発起市町村)
広川町
有田川町
日高川町
由良町
みなべ町
上富田町
兵庫県
たつの市(発起市町村)
香川県
小豆島町(発起市町村)
土庄町
広島県
大崎上島町
熊本県
芦北町
<賛助会員>
石川県金沢市
大野醤油醸造協業組合
千葉県東庄町
入正(株)
(千葉県東庄町商工会)
群馬県安中市
(株)有田屋
埼玉県坂戸市
弓削田醤油(株)
大阪府堺市
大醤(株)
和歌山県湯浅町
(株)角長
久保田醤油
(和歌山県湯浅町商工会)
湯浅醤油(有)
岡山県岡山市
羽原醤油(株)
香川県小豆島町
小豆島町醤油協同組合
熊本県芦北町
岩永醤油(合)
(熊本県みそ工業協同組合)
北海道
本別町
新潟県
新潟市
群馬県
館林市
千葉県
野田市(発起市町村)
銚子市(発起市町村)
東庄町
茨城県
小美玉市
静岡県
大井川町
愛知県
碧南市
半田市
武豊町(発起市町村)
和歌山県
高野町
湯浅町(発起市町村)
広川町
有田川町
日高川町
由良町
みなべ町
上富田町
兵庫県
たつの市(発起市町村)
香川県
小豆島町(発起市町村)
土庄町
広島県
大崎上島町
熊本県
芦北町
<賛助会員>
石川県金沢市
大野醤油醸造協業組合
千葉県東庄町
入正(株)
(千葉県東庄町商工会)
群馬県安中市
(株)有田屋
埼玉県坂戸市
弓削田醤油(株)
大阪府堺市
大醤(株)
和歌山県湯浅町
(株)角長
久保田醤油
(和歌山県湯浅町商工会)
湯浅醤油(有)
岡山県岡山市
羽原醤油(株)
香川県小豆島町
小豆島町醤油協同組合
熊本県芦北町
岩永醤油(合)
(熊本県みそ工業協同組合)
第1回醤油サミットの開催について(ご案内)
湯浅町は和歌山県のほぼ中央部に位置し、紀伊水道に面した温暖で風光明媚な地です。大阪から南へ約100km、JRや阪和自動車道を利用すれば約90分で訪れることができます。
湯浅町の歴史は、この地の豪族湯浅氏が平安時代末期に「湯浅城」を築いたことに始まり、その後南北朝時代まで実に300年にわたって勢力を誇っていました。また、熊野三山へと続く熊野古道の宿所としても栄え、‘04年に世界遺産に登録されました熊野参詣道へと続く熊野古道が唯一商店街を通る町としても知られています。
交通上重要な位置にあった湯浅は、近世に入り次第に商業都市として発展を遂げます。その核をなしたのは、なんといっても醤油です。
鎌倉時代(十三世紀の中頃)に紀州の禅寺「興国寺」の僧覚心が中国から径山寺味噌の製法を習得し、その後当町へも味噌製法を伝授しました。その際に樽底に沈殿した液汁が現在の日本の醤油の始まりであると言われており、「紀州湯浅が醤油発祥の地」と知られています。その後房総半島や讃岐小豆島など全国へと広まっていったようです。
いまでは世界のSOY・SAUCEとして定着しつつある「醤油」を関係市町村が一堂に会して、各地の醤油を活かした独自の食文化等について、情報交換、交流を深めるとともに、新たな目標を共有し、全国的なネットワークの形成に向けて「醤油産地市町村協議会」を設立することになりました。
醤油サミットの日程(案)
10月27日(土)
13:00 開 会(湯浅小学校講堂)太鼓演奏
14:00 基調講演
15:00 醤油産地首長会議
18:00 レセプション(国民宿舎 湯浅城)耐久高校マンドリン部演奏
28日(日)
10:00 重要伝統的建造物群保存地区視察
11:00 紀州ゆあさの鯖っと鯵まつり祭り見学
13:00 稲むらの火の館視察
15:00 閉 会
湯浅町の歴史は、この地の豪族湯浅氏が平安時代末期に「湯浅城」を築いたことに始まり、その後南北朝時代まで実に300年にわたって勢力を誇っていました。また、熊野三山へと続く熊野古道の宿所としても栄え、‘04年に世界遺産に登録されました熊野参詣道へと続く熊野古道が唯一商店街を通る町としても知られています。
交通上重要な位置にあった湯浅は、近世に入り次第に商業都市として発展を遂げます。その核をなしたのは、なんといっても醤油です。
鎌倉時代(十三世紀の中頃)に紀州の禅寺「興国寺」の僧覚心が中国から径山寺味噌の製法を習得し、その後当町へも味噌製法を伝授しました。その際に樽底に沈殿した液汁が現在の日本の醤油の始まりであると言われており、「紀州湯浅が醤油発祥の地」と知られています。その後房総半島や讃岐小豆島など全国へと広まっていったようです。
いまでは世界のSOY・SAUCEとして定着しつつある「醤油」を関係市町村が一堂に会して、各地の醤油を活かした独自の食文化等について、情報交換、交流を深めるとともに、新たな目標を共有し、全国的なネットワークの形成に向けて「醤油産地市町村協議会」を設立することになりました。
醤油サミットの日程(案)
10月27日(土)
13:00 開 会(湯浅小学校講堂)太鼓演奏
14:00 基調講演
15:00 醤油産地首長会議
18:00 レセプション(国民宿舎 湯浅城)耐久高校マンドリン部演奏
28日(日)
10:00 重要伝統的建造物群保存地区視察
11:00 紀州ゆあさの鯖っと鯵まつり祭り見学
13:00 稲むらの火の館視察
15:00 閉 会
湯浅町長あいさつ
はじめまして、和歌山県 湯浅町長の伏木 建でございます。
この度、醤油産地市町村協議会の設立及び醤油サミットの開催にあたり、関係自治体並びに醤油醸造業の皆様方の積極的なご参加を賜りたく、今回「醤油産地市町村協議会準備会」のホームページを開設することにいたしました。
町民はじめ、職員ともども皆様方のお越しをお待ちしています。
さて、近年「食」に関する事柄が、マスコミ等でよく取り上げられておりますが、まさに私たち人間にとって、「食」ほど大事なものはありません。人間が生きていくうえで一番大事なものであります。
早くて簡単なファーストフードがもてはやされてきた昨今ですが、いま一度「食」を見直し、「食」の大切さを再認識しようとする動きがあります。
そのようななかで、今まさに世界では日本食ブームです。日本料理が世界で好まれている理由、それは健康志向、安全志向というのも一つの大きな理由ですが、最大の理由、それはやはりその味です。単純に「日本食が美味しい」ということだと思います。そのベースとなるのが何と言っても調味料「醤油」です。
このように世界規模で注目されるようになった「醤油」ですが、その歴史を紐解けば、平安時代まで遡ります。「醤(ひしお)」という、食材を塩漬けにして発酵させたもの、これが醤油・味噌の原形だと言われています。
その後、鎌倉時代に入り紀州の禅寺「興国寺」の僧覚心が中国から径山寺味噌の製法を習得し、湯浅町へもその製法を伝えました。その際に樽底に沈殿した液汁が現在の醤油の始まりだと言われており、「紀州湯浅が醤油発祥の地」と知られるようになりました。
その後、房総半島や讃岐小豆島などを通じて、各地域へ広まっていった「醤油」は、それぞれの地域の気候や風土と密接に関わり、その地独自の材料や製法等で改良され発展を遂げました。そして江戸時代、鎖国にも係わらず、唯一例外として貿易を許された「醤油」は、遂に海を越え、いまや、塩、コショーと共に世界規模で愛される調味料として、利用されるようになったわけです。
そうした歴史の変遷とともに、現在、調味料としての高い地位を確立した「醤油」、その醸造の伝統を守り抜き、かつ品質に磨きをかけ世界の調味料まで育てあげてこられました醤油醸造業者の方々のご努力、ご労苦に対し、心より功績を称えるとともに敬意を表したいと思います。
また、醤油醸造業者とともに産業を守り、まちを築かれてこられた関係者の皆様方のご貢献、熱意にも大変感謝いたしたく存じます。
そのように全国の各地域で大切に守り育てあげてきた「醤油」、日本人の食の原点である「醤油」の、それぞれの文化・歴史・産業を見つめ直し、更に「醤油」を通しての新しいまちづくりを考えていくための、全国的なネットワークの形成を目的に「醤油産地市町村協議会」を設立したいと考えています。
今回、醤油にゆかりのある自治体、醤油醸造業者にお集まりしていただき、「醤油」、「食文化」について意見交換や交流を深めるとともに、新たな目標を設定し、「醤油を活かしたまちづくり」を推進していこうというものです。
また、その基礎となる醤油産業の更なる発展、PR等、情報発信も実施していきます。
湯浅町は昨年12月、文部科学省より醤油の醸造地区としては全国で初めてとなる重要伝統的建造物群地区の選定を受けました。これも、偏にきびしい状況のなかで伝統を貫き、醤油文化を後世へと継承して下さった先人達の苦労と努力の賜であると感謝しています。私たちの「宝」であり先人たちの築いた証しである醸造の香りに生きる「古い町並み」を今後とも大切に保存するとともに、この古い町並みを活かしたまちづくりを進めていきたいと考えています。
覚心が仏教の修行のかたわら味噌製法を中国へ習得にいった13世紀始めより数え、実に800年、湯浅発祥の「醤油」が世界の調味料「SOY・SAUCE」と躍進していった現在、再度この地「醤油のふるさと湯浅」において、多くの関係者にご参加していただき「醤油サミット」を盛大に開催することは大変意義深く、醤油醸造文化を頑なに守った先人たちへの恩返しになると確信しています。
最後に関係市町村の皆様、また醤油醸造業者の皆様方におかれましては、大変お忙しいとは存じますが、どうかこの協議会、サミットの趣旨等をお組み取りいただき、ご参加賜りますようお願いします。
今後は、当ホームページにおいて醤油産地市町村協議会に関する情報や醤油サミットの具体的なメニュー等について、随時決定次第掲載していこうと思っています。
10月末開催ということで時間の制約や不慣れなこともあり、いろいろと行き届かない点、ご迷惑かけることなど多々あるかと思いますが、ご協力の程よろしくお願いします。
多くの皆様方と一緒にこのイベントを開催し、紀州湯浅の地でお会い出来ることを楽しみにしております。
ありがとうございました。
この度、醤油産地市町村協議会の設立及び醤油サミットの開催にあたり、関係自治体並びに醤油醸造業の皆様方の積極的なご参加を賜りたく、今回「醤油産地市町村協議会準備会」のホームページを開設することにいたしました。
町民はじめ、職員ともども皆様方のお越しをお待ちしています。
さて、近年「食」に関する事柄が、マスコミ等でよく取り上げられておりますが、まさに私たち人間にとって、「食」ほど大事なものはありません。人間が生きていくうえで一番大事なものであります。
早くて簡単なファーストフードがもてはやされてきた昨今ですが、いま一度「食」を見直し、「食」の大切さを再認識しようとする動きがあります。
そのようななかで、今まさに世界では日本食ブームです。日本料理が世界で好まれている理由、それは健康志向、安全志向というのも一つの大きな理由ですが、最大の理由、それはやはりその味です。単純に「日本食が美味しい」ということだと思います。そのベースとなるのが何と言っても調味料「醤油」です。
このように世界規模で注目されるようになった「醤油」ですが、その歴史を紐解けば、平安時代まで遡ります。「醤(ひしお)」という、食材を塩漬けにして発酵させたもの、これが醤油・味噌の原形だと言われています。
その後、鎌倉時代に入り紀州の禅寺「興国寺」の僧覚心が中国から径山寺味噌の製法を習得し、湯浅町へもその製法を伝えました。その際に樽底に沈殿した液汁が現在の醤油の始まりだと言われており、「紀州湯浅が醤油発祥の地」と知られるようになりました。
その後、房総半島や讃岐小豆島などを通じて、各地域へ広まっていった「醤油」は、それぞれの地域の気候や風土と密接に関わり、その地独自の材料や製法等で改良され発展を遂げました。そして江戸時代、鎖国にも係わらず、唯一例外として貿易を許された「醤油」は、遂に海を越え、いまや、塩、コショーと共に世界規模で愛される調味料として、利用されるようになったわけです。
そうした歴史の変遷とともに、現在、調味料としての高い地位を確立した「醤油」、その醸造の伝統を守り抜き、かつ品質に磨きをかけ世界の調味料まで育てあげてこられました醤油醸造業者の方々のご努力、ご労苦に対し、心より功績を称えるとともに敬意を表したいと思います。
また、醤油醸造業者とともに産業を守り、まちを築かれてこられた関係者の皆様方のご貢献、熱意にも大変感謝いたしたく存じます。
そのように全国の各地域で大切に守り育てあげてきた「醤油」、日本人の食の原点である「醤油」の、それぞれの文化・歴史・産業を見つめ直し、更に「醤油」を通しての新しいまちづくりを考えていくための、全国的なネットワークの形成を目的に「醤油産地市町村協議会」を設立したいと考えています。
今回、醤油にゆかりのある自治体、醤油醸造業者にお集まりしていただき、「醤油」、「食文化」について意見交換や交流を深めるとともに、新たな目標を設定し、「醤油を活かしたまちづくり」を推進していこうというものです。
また、その基礎となる醤油産業の更なる発展、PR等、情報発信も実施していきます。
湯浅町は昨年12月、文部科学省より醤油の醸造地区としては全国で初めてとなる重要伝統的建造物群地区の選定を受けました。これも、偏にきびしい状況のなかで伝統を貫き、醤油文化を後世へと継承して下さった先人達の苦労と努力の賜であると感謝しています。私たちの「宝」であり先人たちの築いた証しである醸造の香りに生きる「古い町並み」を今後とも大切に保存するとともに、この古い町並みを活かしたまちづくりを進めていきたいと考えています。
覚心が仏教の修行のかたわら味噌製法を中国へ習得にいった13世紀始めより数え、実に800年、湯浅発祥の「醤油」が世界の調味料「SOY・SAUCE」と躍進していった現在、再度この地「醤油のふるさと湯浅」において、多くの関係者にご参加していただき「醤油サミット」を盛大に開催することは大変意義深く、醤油醸造文化を頑なに守った先人たちへの恩返しになると確信しています。
最後に関係市町村の皆様、また醤油醸造業者の皆様方におかれましては、大変お忙しいとは存じますが、どうかこの協議会、サミットの趣旨等をお組み取りいただき、ご参加賜りますようお願いします。
今後は、当ホームページにおいて醤油産地市町村協議会に関する情報や醤油サミットの具体的なメニュー等について、随時決定次第掲載していこうと思っています。
10月末開催ということで時間の制約や不慣れなこともあり、いろいろと行き届かない点、ご迷惑かけることなど多々あるかと思いますが、ご協力の程よろしくお願いします。
多くの皆様方と一緒にこのイベントを開催し、紀州湯浅の地でお会い出来ることを楽しみにしております。
ありがとうございました。